1995年から2000年の間ロサンゼルスに滞在。
Musicians InstituteのHollywood本校に在籍しボーカリストの英才教育を受ける傍らトラックメイキングに没頭、Long Beach出身のラップアーティストLil'Hefに提供したトラックがMTVのオーディション番組The CUTでMontell Jordanなど審査員から絶賛される。
1999年に現地プロデューサーJoey Carboneと契約し、2000年秋、BMGより逆輸入アーティストとして 『Can't let this love』でデビュー、同日発売だったAIのデビューシングル『Cry just Cry』のカップリング24/7のサウンドプロデュース、作詞作曲を担当。
新人としては異例の歌手、サウンドプロデューサー同時デビューであった。
以後3枚のシングル、2枚のアルバムをリリース、唐沢美帆とのデュエットソング 『I do』はスマッシュヒットとなる。
2002年Heartsdales、中島美嘉、Chemistryへの楽曲提供を皮切りに活動の軸をサウンドプロデューサーヘ以降。本場仕込みのR&B、HIP-HOPサウンドや、歌手経験を生かしたボーカルディレクションは共に高い評価を受けている。
2004 年Leadへの提供楽曲 『Night Delux』がレコード大賞金賞を受賞、2004年末よりHeartsdales 『Fantasy』, FLAME 『Shake you down』, 倖田來未『Hot Stuff』、『Promise』と立て続けにヒットシングルをサウンドプロデュース、2005年7月には573レコードよりリリースのコンピレーションアルバムで 『Super Sonic』を倖田來未とデュエットし3年振りの歌手復活、アルバムリリースの期待も高まる。